御三家へ合格した子で、何も言わなくても勉強に励み、勉強する食卓の脇で弟がアニメを見ていても集中力が途切れず、手のかかった記憶が無い、という子。
現実にそんな子は・・・居ます。
2月の中旬に夕方の報道番組で毎年流される「中学受験 母と子の泣き笑い受験日記」系の特集で、そんな子が登場します。 たしかに存在している証拠です。
まったく手のかからなかった受験体験、うらやましいですね、あこがれますね。
でも、報道番組で取り上げられるという事は・・・数が少ないからです、珍しいからです。 ここで書いたように。
人が犬を噛んだら記事になる・・・けれど - 駒澤塾:中学受験の算数・理科
当然、保護者様はお考えになるはず。
どうやったら、そのような子どもに出来るのか?
そのような子に育てる方法論は、本屋に行けば何十冊も売っています。
ならば日本中に超優等生があふれているはず?
万能な方法論は無いと思います。
いろいろと試行錯誤する中で我が子に最適な指導法や育て方や褒め方をさぐる、その一助になればというのも私がこのブログを書いている目的のひとつです。
今日は指導方法の話ではなく、勉強に「はまる」子ってどんな子、という話としてここで書いたような「苦行と修行」の話です。
学習という行為にたいへんな労力を費やす人の中には、勉強を「苦行でなく修行」と感じる人たちがいます。
勉強を、「修行」に誘導できるならば、効果は絶大なはず。
「修行」の本質とは何なのか、考えてみる価値がありそうです。
「修行」という言葉を見て私の念頭に浮かぶのは、作家の高千穂遥さん。
ロードバイクにはまった体験を、漫画家の一本木蛮さんと共著で「じてんしゃ日記」という本にしています。
その冒頭の一コマが、そのものズバリ。
「修行です 修行!!」
「ああ今日も修行しなくちゃ 困ったなあ♪」
↓ものすご 楽し気♡
出展:じてんしゃ日記
もちろん、覚えたり考えたりする労力を「修行」と感じるようになっても、それが「苦行」に変わることも有ります。
「はじめアルゴリズム」という数学の世界を描いた漫画には、自ら望んで数学の世界に入ったのに、壁にぶつかり、「修行」だったはずの数学が「苦行」になってしまった人たちが大勢登場します。
「修行」と「苦行」を分けるものは、何なのか?
労力の量ではありませんね。
「修行」モードの人にとっては労力は大きければ大きいほど、達成時の喜びも大きいですから。
2月中旬の報道番組に登場する受験生も、かなりな割合で「合格を勝ち取るのは大変だったけど」とキラキラした目で語っています。
これ、受験指導でも高頻度で使われます。
今の時期だったら、目標校はちょっと無理目でも高めに、といった形で。
その場合に「目標校以外は価値が無い」にならないよう、ご注意を。
他人から認められること、保護者様から見れば褒めることについては、叱ることとのバランスが重要だという話を何度か書いて来ました。
保護者様の立場としてはどうしても叱る方に比重が傾きがちですから、受験ブログなどでは褒める方法の記事が多いですが、大切なのは叱り方です。
叱る方法ではなく、何を叱るかが大切だと考えます。
受験勉強における「苦行」と「修行」の話は一回では終わらないようです。
中学受験の算数には、江戸時代に花開いた和算の遺産が多く入っています。
和算における奉納算額と、数学者の円周率が刻まれた墓標との比較などに、何が人を学習に駆り立てたのかを考えるヒントがころがっていそうです。
そんな話も含めて、ネタがまとまったら、また書きます。