「嘘とは何か」という話です。 嘘を理解すると、他人に騙されなくなるだけではなく、受験でも出題者のするいぢわるに強くなります。 たぶん。
「嘘」というと、私の頭に浮かぶのはこの本、半村良さんの嘘部(うそべ)シリーズ3部作の第一作「闇の中の系図」です。 高校生の時に読んで、目からうろこが何枚も落ちました。
構築された世界そのものがストーリーの重要な要素なので、ネタバレは避けます。 長くはない小説ですが、その中に何重にもどんでん返しが入っていて、一気に読めてしまう程度の長さなのに相当な満足感が得られる小説でした。 嘘部シリーズは3本の小説で構成されていますが、最初のこの一本だけでも十分に楽しめます。 おすすめです。
さて、「嘘」の話です。
作品の中でまず印象に残ったのは次のフレーズ。
『嘘とは現実と理想の隙間を埋める接着剤』
たしかに、現実が理想と一致している人にとっては、嘘というのは必要無いものです。 隙間を埋める接着剤とは言い得て妙ですね。
今日の記事は、もうひとつ印象に残った『嘘には2種類ある』という話に関連したことです。
2種類の嘘とは、こういう定義です。
1:虚偽の情報を意図的に伝えて相手の意思を自分の都合良いように仕向ける嘘。
2:事実の一部だけを伝えて相手の意思を自分の都合良いように仕向けるのも嘘。
一般に「嘘」と聞いて思い浮かべるのは1番ですが、2番の定義もまた「嘘」と呼ぶべきであり、そちらの方が気づきにくく、そして危険です。
2番の嘘について説明をする時に私がする「たとえ話」が有ります。
犬が人を噛んでも記事にはならないが、
人が犬を噛んだら記事になる。 めずらしいから。
私はこれに一行追加したい。
もしメディアが犬を噛んだ理由を省略して報道したら、
その犬を噛んだ人は社会的に抹殺されるかも知れない。
もしかしたら、その人には「どうしても犬を噛まなければならないやむにやまれぬ理由」が有ったかも知れない訳です。 でも、それを省略して人が犬に噛みつくというショッキングな動画だけを見せたら・・・炎上しますよね。
ネットサービスが充実した現在なら「犬を噛んだ理由」を個人が発信することも不可能ではありませんが、情報の流通がマスメディアに依存していた時代には、駅前でビラを配るくらいしか個人にできる情報発信の手段は有りませんでした。
2番目の嘘 「事実の一部だけを伝えて相手の意思を自分の都合良いように仕向ける嘘」は、作るのが簡単で、見抜きにくい、恐ろしい嘘です。 そしてまた、何度も繰り返されて来た意識誘導の手法でもあります。 独裁国家の報道制限、特定人種へのヘイト政策、SNS炎上など、昔から現在に至るまでいくらでも実例が挙げられます。
2番目の嘘を見抜くために必要な能力の一つは、情報発信者が「何を省略したか」を考えることです。
「何を省略したか」を考え、見抜く。
あれ? これって、先日の記事 の【3:たった一本の道をさがさせる】の項目で、出題者の先生が消しゴムを手にして、問題文やグラフ上や図形上の数字をギリギリまで消した難問の話とちょっと似ていませんか? 正解に至る道筋を探すっていう作業は、レベルの差こそ有れどちらも同じです。
「算数を学んで得られる能力のひとつが論理的思考力」と言われてもピンと来ない人も多いと思いますが、その実例の一つが情報の省略を見抜く訓練ではないかと私は考えています。
1番の嘘については、これを見抜くために「事実と意見と真実を切り分ける力の育成」がとても重要だと考えていますが、その話は改めて書きます。
「たった一つの真実見抜く、見た目は子ども頭脳は大人、・・・」
という名探偵コナン君の決め台詞は大間違いだということです。 たった一つなのは「事実」であり、「真実」は情報を受け取った人の数と同じだけ存在しますから。