駒澤塾:中学受験の算数・理科

中学受験の算数・理科を中心に書いて行きます。駒澤が旧字体なのは検索をしやすくするためです。

理科で「学ぶ」こと:社会的安全

あの日から12年たちました。 千年に一度のプレート境界型地震により想像を絶する被害が出ましたが、その中で復興まで数十年単位の災害となってしまったのが原子力発電所の爆発による放射性物質の漏洩でした。 

今日はこの放射性物質の話にからめて「社会的安全」について書きます。 

 

今日の話題について記事の下書きを書き始めたのは2年前でした。 

なぜ、2年間も寝かせたのか?

原子力がらみの話題は「危険」なのです。 

原子力について書くと物凄い反発をくらったりします。 

これは昔からで、パソコン通信が始まった頃にPC~VANとかNiftyServeなどで延々と続くネット喧嘩のネタのひとつが、原子力利用の是非に関するものでした。 

なぜ議論が「ネット喧嘩」と呼ばれるほど荒れたのか、今日の記事では触れません。 

 

 

放射性物質の漏えいにからんで今も記憶に鮮明なのは、地震からだいぶ経った頃に見た八百屋の店頭でのシーンです。 

手に取った野菜の産地が茨城県だということに気づいた一人の老婦人が八百屋のご主人に聞いたのです。 

「これ茨城県のだけど、大丈夫なの? 大丈夫なの?」って。 

かなり大きな声で、まわりの買い物客にもはっきり聞こえる大きさでした。(わざと?) 

八百屋のご主人は普段の温和な様子からは想像もできない表情と声で返事していました。 

「うちの野菜に危ない物なんて、ひとっつも置いてませんよ!」

 

このシーンについて、どのように感じますか? 

その老婦人は、マスコミから流されていた情報から強い不安を感じていただろうとは思います。 

また一部の扇動者による影響で、自分も警鐘を鳴らさなければと思っていたのかも知れません。 

そのシーンを見た私はため息をつきました。 

その老婦人に、各種の測定データの意味とか、半減期と作用の相関とか、全数検査の状況とか、体内被曝の知識とか、年齢と身体被害の関係などを説明しても、まったく理解できない、いや理解しようともしないだろうな、と考えて。 

 

2年前に書いた記事で、受験勉強で学ぶ理科には安全を守るための大切な知識がたくさん含まれているということを書きました。 

komazawajuku.hatenablog.com

 

受験勉強の理科で学べることは、直接的な安全に関する知識だけではありません。 

正しい判断をするための基礎となる知識や、正しい判断をするための思考力の訓練も学びます。 

つまり、本人が正しい行動をとったり、良い方向へ進む世論の形成といった「社会的安全」向上に役立つ能力も、理科の学習から得ることができるのです。 

 

何かの問題に対して正しい判断をするために必要な知識は少ないものではありません。 

ですが、基本的な科学知識や考え方の訓練ができていれば、未経験の分野に出会ったときにも正しい理解に短い時間でたどり着くことができます。 

 

そういった基礎知識や思考力の訓練が無かった場合、声が大きくて判りやすく危険性を主張する人の意見を信じやすくなります。 

断言口調で語られる危険性の話を聞いて怖がる方が、データを自分自身で判断するよりも楽ですから。 

 

予定されている「処理水」の海洋放出でも、風評被害の話を聞くとがっくりします。 

危険性を主張する人たちによる「声が大きくて判りやすい意見」に対して、安全性を説く側のアピールはあきらかに負けています。 

 

なぜ論理的には正しい側が負けるのか。 

人に伝えるということが下手だからです。 

安全性を説く側の言うことは正しいです。あきらかに正しいです。 

でもそれは、話を聞く側が知りたいこと、本当は伝えなければいけないことからずれていて、その結果として多くの人が間違った意見に引っ張られてしまっています。  

 

なぜずれているのか。

話をする側が「自分が話したいこと」ばかり考えていて、

話を聞く側が「何を知らないか」「何を知りたいか」を考えてないからです。 

これって中学受験でも記述式答案の添削でさんざんする指導ですね。 

「今回の答案、君が何を書きたいのかは良くわかった。

 でもそれは、出題者が書いて欲しいこととはずれているよね。」

こういうコメントを書いたことの有る先生は多いはず。 

中学受験の勉強では「人に伝える技術」も高いレベルで学ぶわけで・・・

という話はさておき。 

 

 

「発達した科学技術は魔法に近づく」と言われます。 

中で動いている仕組みなんか理解できなくても、誰もがGPSで位置を知り、電車の中で動画を楽しんでいます。 

仕組みなんか判らなくて良いのです、平常時なら。 

 

ですが想像を超えた異常事態が起きて、それが未知の知識と関連し、社会全体の合意形成が必要になった場合、たとえば

原子力発電所からの放射性物質の漏洩への対策実施

・新型ウィルスに対する遺伝子工学を利用したワクチン

正しい判断をするための知識や、正しい判断をするための思考力が不足していれば、声が大きくて判りやすく危険性を主張する人の意見に容易に引っ張られてしまいます。

わかりやすくして物事を判断するのは、対象によってはとても危険です。 

 

 

 

社会全体の正しい合意形成、つまり「社会的安全」を守るために理科の勉強は役目を担えるはずです。 

中学受験の指導というのは小さな活動ですが、「社会的安全」向上に役立つ能力を持った人物を増やすことでもある、と信じて頑張っています。 

 

 

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