引き出しを整理していたら、懐かしい物が出てきました。 私自身が中学入試の受験生だった時の四谷大塚と日本進学教室の塾生バッチです。
私も中学の受験をしました。 五十数年前の話です。
当時の教材などは捨てられてしまったので、おぼろげな記憶で書きます。
中学受験の準備は小5から始めました。
最初に通ったのは四谷大塚でした。
6年生からは日本進学教室(日進)に転塾しました。
どちらも(私の記憶が確かならば)週末のテスト&解説授業だけでした。
四谷大塚や日進からは週末のテストの単元が指示されて、それに向けて自由自在とか応用自在などの参考書で自宅学習するのが普通だったと思います。
今みたいに算国理社の四科目を平日に塾に習いに行くのは少数派だったのじゃないかな(小学生の頃の個人的な記憶なので、あいまい)。
平日の勉強は参考書の解説が唯一の情報源です。
父親が工学部の教授だったので、わからない問題への質問はできたのですが・・・
当然、父の解き方は「方程式」なわけで、今から振り返って見れば「しなくて良い苦労をずいぶんしていたなぁ」というのが正直な感想。
今でも鮮明に覚えているのは、4人が自動車1台を使って移動する旅人算の問題。
自動車の動きをダイヤグラムに書くとZ形になる典型題ですね。
父は私からの質問に対して、立式して、式の変形をして、分かりやすく説明できなくなって、逆切れしていました。
そういえば、この問題の解説はブログの記事にしてませんでした。いつか書きます。
なぜ6年生になる段階で四谷大塚から日進に転塾したのか、いまとなっては理由は判りません。
たぶん成績が低迷していたはず。
日進に移って最初のクラスが、一番下の「男子組」だったと記憶しています。
日進に移ったのと同時期くらいに、算数専門で平日授業の「深沢塾」に入りました。
6年生からの入塾は基本的にダメと言われたけれど頼み込んだ、と母から聞いた記憶があります。
深沢塾での勉強は、この記事で書きました。
2019-03-11 SAPIXの復習主義:その1
深沢塾への通塾と時を同じくして、成績はどんどん上がりました。
日進でのクラスは最終的に一番上(たしか名称は「国公立一組」?)まで上がりました。
これには深沢塾で受験算数の解き方を習ったことが大きく貢献していると思います。
深沢塾の教材は、生徒の進捗を見ながらその場で印刷するプリント形式でした。
既に廃棄済みで一枚も残っていませんが、たとえ取ってあったとしてもリコピー(いわゆる青焼き)でしたからボロボロになっていたと思います。
どのような教え方をしていたか、すごく興味があります。
今日は引き出しから出て来た塾のバッチにからんで、五十数年前の中学受験の話でした。