駒澤塾:中学受験の算数・理科

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国語で「学ぶ」こと:知識と倫理の土台

私は中学受験の算数と理科を専門に教えています。 国語や社会について個人的な趣味として入試問題や解説書を読んでいるなかで、国語で「学ぶ」ことに関して感じて来たことを書きました。 

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国語で何を「学ぶ」のか? に関しては、以前に見たタモリ倶楽部の企画がずっと念頭に有って、記事を書くならそれの紹介から書かなければと考えていました。 そしたら、その紹介がぴったりのタイミングで出ました。 

www.jukenlab.netまさにこの企画を具体例として紹介したかったので、さっそく言及(リンク)させて頂きました。 

 

今日の記事、結論から書きます。 

 

1)入試の国語で問われるのは、漢字や知識だけでなく、どのように考え・行動すべきか、つまり倫理の土台となる部分の習得度合いである。 

2)物語文であれば、設定された状況の中で主人公や他の登場人物はどのように考えるか(というより、どのように考えるべきであるか)を学べているかどうかを問われる。 

3)論説文であれば、想定される状況の中で人々はどのように考えるべきか、それがどのように変わって来たか(どのように変わるべきであるか)を学べているかどうかを問われる。 

4)加えるならば、中学入試において問われる考え方は、99パーセントまでポジティブなものである。 

5)もうひとつ加えるなら、出題者が作りやすいのは、何かが変化したときの理由や、変化の表れ方や、変化による結果に関する設問なので、物語文でも論説文でも「変化」に注目すると正解にたどり着けやすい。 

6)それに関して更に付け加えると、受験生のレベルが高い場合に出題者が織り込む「いぢわる」の一つが「変化」を隠すことである。 たとえば比喩的な表現を読み取らせるとか、省略部分を推測させるなど。 

 

以上の6項目、国語の先生から見てどのように評価されるかは、尋ねたことが無いので知りません。 一笑に付されるのか、大間違いと叱られるのか、それとも当たり前のことを書くなと言われるのか。 

ただ、国語の参考書を何冊か読んで来て、私がこれは参考になると感じた本には共通して、国語とは常識や道徳を学ぶ科目でもあると明記されていました。 

 

中学入試国語のルール (講談社現代新書)

中学入試国語のルール (講談社現代新書)

  • 作者:石原 千秋
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 新書
 

 はじめに の冒頭の書き出しが「日本の国語教育は道徳教育です。」です。 また、次のような記述も有りました。 

「小説篇では、文学的には答えが決められないのに、道徳的な観点や常識的な観点から読んだときにだけ答えが一つに絞れるような設問を含む問題を中心に構成しました。」

まさに、これがタモリ俱楽部における入試問題作成者と作品自体の作者の食い違いの原因ですね。 

 

 

田代式 中学受験 国語の「神技」

田代式 中学受験 国語の「神技」

  • 作者:田代 敬貴
  • 発売日: 2010/02/27
  • メディア: 単行本
 

 こちらの本でも、214ページにこう有ります。 

「ここで[感想型]の結論である。もうおわかりだろうが、このタイプの記述問題を出題する学校が求めているのは受験生の個人的な感想や意見ではなく、<大人の常識><道徳的判断料>なのだ。」 

 

 

 25ページの記述

「この受験期に問題文を読むことで多くの人の心の問題に触れ、自分以外の人の心、あるいは、自分にも同じ気持ちがあることを考えられるように成長していることを実感することが度々あります。」

そして第一章「国語とは何か」の六カ条のうち二つが心についてです。 

第三条 国語の問題には学校からのメッセージがある 

第四条 国語の学習で子どもの内的成長を促す 

 

 

受験勉強の具象的な目的は合格を勝ち取ることですが、どの科目にも自己を確立するための大切な勉強が含まれていると以下の記事で書きました。 

テロール教授の怪しい授業、「学ぶ」とは何を? - 駒澤塾:中学受験の算数・理科

という訳で今回はjukenlab様のブログをトリガーとして、国語で「学ぶ」ことについて考えてみました。 

 

受験指導をする立場から観れば、その大切な勉強「倫理の実践部分」をいかに効率良く生徒に習得させられるか、その方法論がもし存在するなら、それが今の私の知りたいことです。 小6の10月に志望校にあと10点足りない生徒に「繰り返していれば、そのうちに慣れるよ」とは言いたくないですから。 

 

江戸時代、武士および農工商の余裕のある人たちは漢籍素読をしています。 「子、曰く・・・」というのは、まさに倫理の学び(=まねび・暗記)ですよね。 まず「覚え」それから現実との齟齬を「考え」そして自分自身の「理解」として確立して行ったわけです。 小学生が受験勉強の中で「社会的な規範」を「覚え」て、なにか弊害が出るでしょうか? 国語においても、以下の記事に書いた順番が有って良いのでは? 

先に解けるようになる、ということ - 駒澤塾:中学受験の算数・理科

そしてそれが良いのなら、覚えやすいように必須知識を整理してやっても良いのでは?  

 2021-05-14 追記

smile2021さんのブログ『過去問との相性がよい学校とは 校風との相性もよい』(特に国語は)  に全面的に賛同します!

smile2021.hatenablog.com国語が常識や社会的規範、つまり倫理の土台も学ぶ学問であるとするならば、入学試験の国語には、その学校のカラーが反映されている訳ですね。 

あっ、だとすると、

カトリック系やプロテスタント系の学校の入試問題には、それらの考え方が織り込まれているのだろうか? いつか答えを知りたい疑問点、頭の中のはてなマークが一つ増えちゃった。 

 

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