私は中学受験の算数と理科を子供たちに教えています。 何を目的として教えているかと問われれば、それはもちろん「合格を勝ち取らせること」ですが・・・
オーム真理教の地下鉄サリン事件からもうすぐ26年、いま受験勉強をしている小学生が生まれていないどころか、教える方の先生すら事件の後に生まれた人がたくさんいる時代になったのですね。
私が大学に入学した頃には、まだオーム真理教は存在すらしていませんでしたが、理工学部のキャンパスからテクテクと歩いて一般教養の授業を受けに「本学」と呼ばれたキャンパスに行くと、たぶん新入生の勧誘を狙っているらしい変な目つきをした人達がたくさん構内に立っていました。
学生運動については安田講堂占拠、あさま山荘事件、凄惨なリンチ事件などをニュースで見ていた世代なので近寄りもしませんでしたし、△△研究会などの名称の新興宗教系やボランティアサークルに対しても、学生同士の情報交換で怪しいところの団体名は頻繁にやり取りをしていたので「あ、あれがそうか」という目で見ていました。
キャンパスで勧誘をしている様子を見ても、ほとんどの学生が露骨に避けたり、ちょっと離れた場所から数人でチラ見しながらこそこそ話をされていたり、あきらかに勧誘グループは浮いていました。
「あれじゃ勧誘なんて無理だよなぁ。なんであんな無駄なことをしているんだろう?」と当時は思っていましたが、最近読んだこの漫画で腑に落ちました。
あれは社会からの孤立を味あわせるのも重要な目的のひとつだったんですね。
まだ単行本は2巻まで出たところですが、大学に入学した学生たちがテロリズムとは何かをゼミで学んで行くという物語です。
授業の初回、新入生たちは教授からこう怒鳴られます。
「この テロリストどもめー!!!」
:
中略
:
「でも説明を聞いていながらこの場にいる?」
「つまり皆さんはカルトに引っ掛かりやすいテロリスト予備軍でーす!」
「自分が引っ掛かるはずがない?」
「名門大学にご入学が出来る「頭の良い学生」のつもりでいました?」
「ははははは」
「それが一番危ういし厄介」
「考えたつもりだからこそ騙されますからね」
単行本37ページから38ページの教授のセリフですが、過激派から地下鉄サリン事件に至るまで、リアルタイムで、それらの中心にはいわゆる最高学府の学生たちが居たという事実を見て来た私としては、グイッと引き込まれる導入でした。
物語ではこの後、一通りの勉強をして来たはずの学生が「いかに自分が無知であったか」をゼミでの質疑応答や演習の中で思い知らされて行きます。
私は中学受験の算数と理科を子供たちに教えています。 何を目的として教えているかと問われれば、それはもちろん「合格を勝ち取らせること」です。 合格を勝ち取るための能力以外を教えるつもりは有りませんし、これまでも、これからもしないでしょう。
ですが、
教え子はおそらく全員が名の通った大学に進学する道を歩むでしょうけれど、大人の入り口に立った時に彼らが落とし穴に落ちないための身を守る武器は、中学受験の準備という勉強の中で得られているのだろうか? そんなことを考えながら、この作品を読んでいました。 来週で最終回を迎えるNHKの土曜ドラマ「ここは今から倫理です」も、そんな考えの刺激になっています。
昨日の記事、「事実の一部だけを伝えることで作られる嘘」と、それを見抜く武器となり得る「省略部分を見抜く論理力の習得」の話 も、そんな考えの中から生まれたものです。
そうやって考えて行くと、算数、理科、国語、社会のどの科目にも自己を確立するための大切な勉強が数多く含まれていることに気付かされました。 同時に、それらの学びが難関校の入試問題を攻略する能力でも有ると気付きました。 今後、「受験ブログ」の観点からの考察を、折りに触れて書いて行きたいなと考えています。
【追記】
国語で「学ぶ」こと:知識と倫理の土台 - 2021-03-25
ちなみに、記事中で1巻でなく2巻の紹介リンクを挿入しているのは、1巻の表紙の絵が怖すぎるから、です。
取り扱っている題材はテロリズムという恐ろしい話ですが、物語の登場人物は愛と思いやりに満ちた善い人ばかりですよぉ、いや、マジで。