麻布中学の2025年度社会の入試問題から触発された記事です。
今日は【本のデジタル化の功罪】のことを書きます。
私の解答例は、四谷大塚さんと少し食い違いました。
2025年度の麻布中学の社会の出題は、とても優れたものでした。
2025-02-09:麻布中2025年社会の入試問題が良問
その入試問題に発想を促された事柄を記事にして行っています。
今日は【本のデジタル化の功罪】に関連した話です。
【麻布中学の問題 問13】
下線部スについて。ユニバーサルデザインやバリアフリーの意識が高まり、技術が進歩するとバリア(障壁)を減らしていくことができる一方で、技術の進歩が新たな障壁をうみだす場合もあります。点字を使っている人は、現在の社会で情報を得るときにどのようなことを新たな障壁と感じているでしょうか。具体例をあげて説明しなさい。
【四谷大塚の解答例】
具体例:タブレットの利用
説明 :音声入力は可能であるが、タブレットに表示される情報を触れて読みとれない。
これ、私としてはちょっと異論あり、です。
タッチ画面化が生むのは「情報の読み取りへの弊害」よりも「画面操作への弊害」だと思います。
その実例として、ちょっと昔話を。
インターネットエクスプローラが登場してネットスケープナビゲータと争ってた時代の話です。
World Wide Web 上でHTMLにより記述された情報のやり取りが始まった頃です。
視覚障碍者がパソコンを使っている様子を紹介したテレビ番組を見ました。
入力は全ての操作をキーボードでしていました。
読み取りは読み上げ機能を使っていました。
ものすごい速度でパソコンに読み上げさせていました。
あれは何倍速だったのだろう、私には聞き取れない速さだった。
番組の中でも「超高速での聞き取り」に焦点が当たってました。
印象深かったのは、超高速の聞き取りもさることながら、画面上の各種操作をキーボードだけでしていたことでした。
そして、こういう画面デザインは困るとして挙げられた事例、
★ 複雑すぎるフレーム分割
★ リンクボタンにname属性が無いもの
が強く印象に残っています。
目からウロコでした。
HTMLを正しく使ってページを構成すれば、視覚障碍者にも情報を伝えられる。
これは嬉しい驚きでした。
この視点から四谷大塚さんの解答例を見ると、
解答例は「情報の読み取りへの弊害」の話であり、
私の体験は「画面操作への弊害」の話ですね。
四谷大塚さんの解答例は、問題文中の「情報を得るときに」という記述に引っ張られた?
中学入試のレベルでは「情報の読み取りへの弊害」の話で十分だとは思います。
でも本当にデジタル・デバイドの原因になるのは「画面操作への弊害」では無いでしょうか。
情報の入力は、キーボードで出来ていましたし、AIの発達で音声入力も実用化済みです。
出力に対しても、自動音声による読み上げが昔から利用されて来ました。
でも、システムの提供側が意識しないと「画面操作への弊害」が新たに発生してしまいます。
必要な情報に到達できない、そういう弊害が出てしまうわけです。
JRの券売機がタッチパネル化されて行った頃も、視覚障碍者の困惑が伝えられました。
それまでのボタン式の券売機ならば、
・自分が使う駅間の運賃を、覚えて
・主要な券売機のボタン配置を、覚えて
・運賃ボタンを順番を数えて押せば、切符が買えた。
ところがタッチパネル式になると、どこに触れれば良いのか分からない。
SuicaなどのIC乗車カードの普及で、切符の購入は大都市圏では不要になりました。
それまでの視覚障害者へのサポートは、かなり不十分だったと思います。
そして、今でも新たな弊害が次から次へと登場しています。
障碍者への支援に限らず、サポートで必要なのは三つの考え方だと思います。
⭐︎ ある人が、できない事をしっかり把握する
⭐︎ そのできない事だけを必要最低限、助力する
⭐︎ 本人にできる事は自分自身で出来るようにする
これって、受験生への指導でも同じですね。
生徒が質問に来た時に、こんな対応をする先生がいます。
生徒:せんせー、しっつもん!
先生:この問題はね、こうやれば、ほら、答えが出るだろ。
生徒:わーい
この生徒が次に類題を解くとき、解けるようになってるでしょうか?
テストと演習の目的の違いをはっきりと区別するべきです。
テスト中の目的は、答えを出すこと。
演習中の目的は、次の機会で答えを出せるようになること。
生徒が目的を勘違いしているのは、しかたがありませんが、
先生がここを見誤ってはいけません。
以前、こんな記事を書きました。
2019-03-05:上手な質問のやり方
今回の入試問題は文字と本に関する出題でしたが、実にいろいろな発想が湧き出ます。
まだまだ有るのですが、とりあえずこのシリーズは、次の記事で一区切りにします。