麻布中学の2025年度社会の入試問題から触発された記事です。
今日は【漢字かな混じり文】のことを書きます。
中国から伝来した文字「漢字」を昔の日本人がどのように受け入れたのか。
ひとことで言えば「魔改造」です。
2025年度の麻布中学の社会の出題は、とても優れたものでした。
2025-02-09:麻布中2025年社会の入試問題が良問
その入試問題に発想を促された事柄を記事にして行っています。
【漢字かな混じり文】
中国で発明された漢字はアジアの周辺諸国に伝わって行きました。
ほとんどの国では、漢字を中国語を書くための文字としてだけ使いました。
ところが日本では漢字を「意味」と「音」に分けて扱うことを発明してしまった。
さらに、音を表す文字を漢字から派生させて新たに作ってしまった。
漢字を中国語から切り離して、自分たちの日本語を記す文字に魔改造してしまった。
これはすごいことです。
漢字の伝来から使用開始まで、その期間はすごく長かったらしいです。
その長い期間、日本人は漢字の本質を考え続けたということですね。
そして漢字というものは、意味と音の両方を持っていることを発見してしまった。
漢字を中国語を記述するためでなく、日本語を記すために使おうとした。
最初に行われたのが、漢字の意味を無視して音だけを借りる使い方でした。
これが「万葉仮名」ですね。
そこから「カタカナ」や「ひらがな」が発明された。
字体を崩した「ひらがな」については草書の発展として納得できます。
でも「カタカナ」に関しては、どの漢字のどの部分を使うかどうやって決めたのでしょう?
調べてみたら、カタカナの字体が固まるまでに300年くらいかかっているそうです。
それだけの時間をかけて、多数の人の共同作業で文字の体系が作られたということです。
朝鮮では15世紀なかばにハングルが作られました。
ハングルとは母音と子音の音素の組み合わせで一つの音を表す文字です。
人工的に作られた経緯もあって、合理的でシンプルに見える文字体系です。
シンプルに見える・・・のですが、実はかなり複雑な綴りのルールが有るようです。
《脱線開始》
昔、韓国で自動車レースの最高峰であるF1が開催されました。
その準備が遅れに遅れ、予選レース初日にもまだ工事が終わってない状況でした。
現地の最新情報が知りたくて、朝鮮語のニュースを自動翻訳で読んでいました。
ところが自動翻訳の精度が低すぎて内容がわからない記事が多かったのです。
そんな中、非常に翻訳精度の良いメディアが有りました。
それがキョッポシンムン、漢字で書けば僑胞新聞、つまり在外韓国人による報道メディアでした。
なぜそこだけが正確に翻訳されるのだろう? と考えた。
一つのことを思い出した。
韓国の中学校の国語教師で、きちんとハングルの綴りが書けるのが半分以下だったという話題を読んだ記憶が浮かんで来ました。
つまり自動翻訳の精度が上がらなかったのは、ネットで記事を公開しているメディアですら、ほとんどが不正確な綴りの文章を載せているのが原因だったのでは?ということ。
在外韓国人による記事だけが正確に自動翻訳できたのは、そこだけが正しい綴りの文章を載せていたから、ではないのかな。
ブラジルの日系人が実に見事な日本語を使っていらっしゃるように、祖国を離れているが故に正しい母国語を残しているのではないかな、ということです。
★韓国も北朝鮮も漢字の使用を廃し、ハングルのみの記述になっています。
★科学、技術、法律などの用語のほぼ全ては明治期に作られた和製漢語です。
★表意文字である漢字を捨て、その音だけを表すハングルだけを残した。
★そのハングルの綴り方そのものが安易な方向に崩れかけている。
・・・なんか、すごいことになりつつあるような気がします。
《脱線終了》
中国では漢字だけを用いて、いわば万葉仮名のように外来語の音を表します。
たとえば、麦当劳(=マクドナルド)
さすが漢字発祥の地、外来語の中国語表記を見ていると、音と意味の両方を再現しようとしています。
そして「音」よりも「意味」の一致性の方を優先しているように感じます。
中国で漢字から独立した表音文字が作られなかったのはなぜでしょう。
発声の抑揚で意味がガラッと変わってしまう四声が原因なのかな。
でも「ピンイン」という表記法も有るわけで、できない事ではなかったはず。
いずれにせよ、中国は漢字から独立した表音文字を導入しなかった。
でも画数の多い漢字だけで文章を書くのは大変だし、初等教育での負担も大きい。
そこで導入されたのが簡体字です。
簡体字と繁体字を見比べてみると、方法論としては日本と似ています。
・ひらがなのように草書から来たような簡略化。
・カタカナのように一部の部品を切り出した簡略化。
でも日本と大きく違うのは、それらの簡略化を漢字全体に対してやっちまったこと。
「やっちまった」と書いた理由。
漢字は部品を組み合わせて新しい文字を増やせるシステムです。
組み合わせ方には二種類あって、音を借りる場合と、意味を合体させる場合です。
草書から来たような簡略化は、元の部品が何だったか分かりにくくなります。
でも、それはまだ良い。
問題は、音が同じだという理由で部品を取り換えてしまった字です。
昨今の電気自動車に関する記事で頻繁に見る「油价」
調べてみたら「油価」のことだった。
「价」の元になった繁体字は「價」
「賣」とピンインが同じ(jià)「介」に置き換えてしまってる。
「人」が「かご」で「貝」を取っているという意味が失われてる。
だめじゃん、って思ったところで気が付いた。
日本の新字体だと「価」 これ、もっとだめじゃん。
お金を表す貝を捨てて 上部のかごだけを残してる。
今日の記事、発想が止まらなくなってすごく長くなりました。
むりやりまとめます。
文字を扱うデジタル基盤はすごく高性能になった。
字画の多い文字を、画面でも印刷でも鮮明に見ることができる。
入力も文脈を勘案した予測変換ですごく精度が上がっている。
ならば、
繁体字、復活させても良いのではないでしょうか。 ルビ付きで。
漢字の書き取り試験が地獄になりそうな気もするけれど、
要は、正しい漢字が選べて、誤字を避けられれば良いのだ。
手書き文字に関しては、
書道の時間は大幅に増やして、楷書と草書の練習をさせたい。
(台湾の教養のある人の草書はすごくきれいだし、正しく読める)
漢字の簡略化とか、文字数の制限が社会の知的レベルを上げるという発想は、もう古い気がします。
これは漢字文化圏だけで無いようです。
こんな映画が作られています。
人工冬眠させられた普通の男が、
ミスで500年間眠ってしまい、
目覚めてみたら全米で最も知能指数の高い男になっていて、
大統領としてホワイトハウスに入ってあれやこれや・・・
という話、らしいです。 (見てない)
Amazon Prime Video :26世紀青年(字幕版)