受験をすることの価値とは何でしょう?
学歴を得るため? 知識と教養を身に付けるため? 人的コネクションを得るため?
もちろんそれら「も」有るでしょう。
でもそれらより大きいのが「苦しみの先にある快感を体験していること」かも?
学習塾の営業トークでは、以下のような表現を聞くことがあります。
☆ 学歴は奪われることのない本人だけの資産。
☆ 学歴とは知識と教養を身につけた証。
☆ 一部の大学の卒業生は社会に出てからも結束が強い。
どれも本当です。
私もよく使う表現です。
今日はそういった一般的な話は脇に置いておきます。
中学受験の価値のひとつが「苦しみの先にある快感を体験していること」という話を書きます。
勉強とは、勉めることを強いる と書きます。
6年生なら本番まであと半年。 夏期は合否を分ける天王山です。
プールにも行かず、行楽にも出かけず、毎日10時間の勉強はあたりまえ。
4年生から始めた生徒なら3年間続いた苦行の総仕上げの時期に突入します。
来年の2月、受験が終わった瞬間、この苦行が無くなります。
苦しみがゼロになります。
その瞬間は「開放感」という言葉では足りません。
すさまじい「快感」を体験することができるのです。
快感? ちょっと大げさでは?と感じる方も多いと思います。
人間の脳の中では、常に快感物質と苦しみ物質が分泌されています。
(ここでは快感物質と書いていますが、脳内麻薬と呼ばれることが多いですね。)
普段は両者のバランスが取れているので実感しませんが、バランスを狂わすと・・・
たとえばジョッギング
明け方に都内のコース脇を通ると、けっこうな数の人がジョッギングをしてます。
わざわざ明け方に起きて、苦しい思いをするのはなぜでしょう?
走っている間、苦しみ物質が増えた分、快感物質も増産されてバランスを取っています。
走り終えた瞬間に苦しみ物質は消えます。
すると、増産されていた快感物質が優勢になるわけです。
苦しければ苦しいほど、終えた瞬間の快感は大きくなる。
これを体験した人の中では、苦行が修行に変化します。
中学受験の話に戻します。
合格を勝ち取った生徒は、この「苦しみの先に快感が得られた体験」をしています。
勉強という行為が苦行から修行になった子が数百人集まった集団に加わるわけです。
努力した先に楽しみがあることを知った子達の集団が、落第さえしなければ何をしても良い数年間の期間を共に過ごすわけです。
ワクワクする世界が想像されませんか?