麻布中学の2025年度社会の入試問題から触発された記事です。
今日は【多言語国家】のことを書きます。
今日の記事は、麻布中学の問題文に異論有り、です。
2025年度の麻布中学の社会の出題は、とても優れたものでした。
2025-02-09:麻布中2025年社会の入試問題が良問
その入試問題に発想を促された事柄を記事にして行っています。
【多言語国家】
今回の問題文には「朝廷とは異なる言語を話す隼人や蝦夷のような人たち」という記述が有りました。
私はその記述に違和感を覚えました。
日本は、明治維新までは多言語と呼んで良い国家だったと思います。
薩摩の人と津軽の人が候文(そうろうぶん)や(ありんすことば)を使わずに会話ができたとは思えませんよね。
念頭に浮かんでいるのは「中国語」のことです。
言語学的に中国語と呼べる言語は無いです。
北京話とか福建話などでは発音も単語も大きく異なります。
それら同士で同じなのは、漢字という文字を使うことと、基本的文法だけです。
中国では峠を越えただけで会話に支障をきたすレベルで話し方が変わります。
チャン・イーモウ監督の「あの子を探して」という映画では、教え子を探してバスで街に出て来た若い代理教員の女の子が、街の人に何度も聞き返されるシーンがありました。
映画:あの子を探して(チャン・イーモウ監督作品)
香港に行った時に乗った飛行機でアメリカ映画を見ました。
中国語の字幕が「2種類」付いていました。
台湾から来て現地で合流した人は、香港で会話が成り立たないのは覚悟していたけれど、同じはずの単語でも使っている漢字が違うので筆談も出来ない、って泣いてました。
もしそれらをまとめて「中国語」と呼ぶなら、ヨーロッパ各国の言語をまとめて「欧語」と呼んでも良くなるというレベルです。
なぜひとからげに国の名前を付けた言語の名で呼ぶのか? 政治的な理由です。
その視点で見ると、「朝廷とは異なる言語を話す隼人や蝦夷のような人たち」という記述にも政治的な意味が生じてしまいます。
朝廷と異なる言語を話していたのは、隼人や蝦夷だけではなかったわけですから。
ここで隼人と蝦夷だけを異邦人として扱うということは、武力で占領された民としての意味付けを強調することにつながります。
隼人や蝦夷の名称を挙げたのは、現在の県名を問う設問のためだと思います。
私ならこの部分、すこし異なる書き方をします。
麻布中学の問題文
また日本列島の中には、朝廷とは異なる言葉を話す隼人や蝦夷のような人たちも暮らしていました。
駒澤塾の提案
また日本列島の中には多くの話し言葉があり、特に朝廷から離れた地方に住む隼人や蝦夷のような人たちは大きく異なる言葉を話していました。
あらら、問題文の中にすごいヒントを織り込んで、偏差値レベル的に5くらい低い設問になっちゃったかも。
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