駒澤塾:中学受験の算数・理科

中学受験の算数・理科を中心に書いて行きます。駒澤が旧字体なのは検索をしやすくするためです。

イニシェリン島の精霊

映画を見て来ました。 

「イニシェリン島の精霊」

ネタばれはしません。 ですがyoutubeで公開されている2分21秒の予告編の範囲内で見られる範囲のことは書きますので、事前の情報一切無しで映画を見たい方は、ここで読むのを中止してください。 

 

2分21秒の予告編で見られるシーンでわかること。 

人家もまばらな北の方の孤島を舞台とした、おじさん二人の物語。 

年寄りの方がエキセントリックな言葉で絶縁宣言をします。 

「俺に構うな

 さもないと 毛刈りバサミを使う

 今度俺に話しかけたら

 ハサミで俺の指を切って お前にやるよ

 指がなくなるまでな。

 分かったか?

 開始だ・・・」

年寄りの男は、お前の指を切ると言っているのではありません。

お前が俺に話しかけて来たら、俺は自分の指を切ってお前に投げつけるぞと言っているのです。 

www.youtube.com

実は私は事前に岡田斗司夫さんのyoutube動画での紹介を見ていました。 

「あぁ、なるほどね。 ○○を題材にした映画か。」と思って見に行きました。 

www.youtube.com

想像をはるかに超えた映画でした。 

 

以下、ネタばれを一切無しで書くために(いつも以上に)支離滅裂な文章になります。 

 

これらの映画を見たことがありますか?

ラジオ、メリーに首ったけ、アイアムサム、ショーシャンクの空にグリーンマイルフォレストガンプレインマン、ギルバートグレイブ、レナードの朝、シャイン、アルジャーノンに花束を

これらの映画タイトルを見て、「あぁ、なるほどね。 ○○を題材にした映画か。」と思うことが無ければ、今日の記事はまさに訳のわからん話になるはず。 

 

 

私は中学2年生までずっと学年で一番のチビでした。 

中2から中3にかけて一年で身長が11cm伸びましたけれど、中1の頃など授業前の挨拶で「起立!」の号令がかかった時に後ろから「△△、立てよ!」というからかいの言葉が飛ぶほどでした。 

 

体格が極端に劣っていたことに加えて、小学校低学年まで住んでいた品川区では自宅のまわりに男の子の友達が一人も居なかったこともあり、運動が超苦手な子でした。 

たとえば野球では、取れない・打てない・走れないの三重苦。 

 

引っ越した先の世田谷区の小学校で、確か3年生の運動会での障害物競走。 無様な姿をさらした私に観客席から聞こえて来た嘲笑は記憶に刻まれています。 

チビで、運動ができなくて、性格は幼くて・・・でも、勉強はできた。 

幅広い子供が集まっている区立小学校のクラスの中で、勉強ができるというのが私のアイデンティティでした。 

 

当時は、公立の学校に「養護教室」が設置されつつある時代でした。 

設置される前の障碍児教育はどうだったのか。 

保護者は「就学猶予」の届けを出させられていたのです。 

学校に受け入れる仕組みが無いという理由で、国に対して「就学を猶予してください」と願い出る届けを、なかば強制的に出させられていたのです。 

 

多くの声が国を動かし「養護学級」が設置されて行きました。 

何年生の時だったか、クラスの男の子の一人が養護学級に移りました。 

ランドセルを背負い、教材袋と上履きを手に持って校庭を先生と歩いて行く後ろ姿が今も瞼に焼き付いています。 

その風景を実際に見たのか、記憶が作り上げたイメージなのか、今となってはわかりません。 

 

養護学級の設置により、猶予の書類を出させられていた子が通学できるようになり、専門の先生の指導を受けられるようになりました。 

でもまだ普通級の生徒にとって、そこに通っている子は自分達とは違っている子、でした。 

それも徐々に変わりつつあります。 

通級、交流の機会設定、そして普通級に常時在籍するという本格的な混合教育。 

私も身内のためにこの流れの中で戦って来ました。 

 

イニシェリン島の精霊という映画、難しかったです。 

私の中ではまったく整理できていません。 

見終わって数時間後の今、感じているのは

「共に生きる。それは良い。だがその結果なにが起きるか覚悟はできているか?」

を問いかけて来る映画だったということです。 

 

アイルランドの西に浮かぶ島。 

男たちは村に一軒のパブに集まって語り合う。 毎日。 

予告編の中の会話、年寄りの男が絶縁の理由を伝えようとします。 

「こないだお前はロバのクソの話を2時間続けた」 

それに対しての反論が、

「ロバじゃない 馬の糞だ 人の話を聞け」 

年寄りの男からのメッセージは、まったく伝わっていません。 

このコミュニケーションの食い違いが、重要な要素になっています。 

 

年寄りの男はフィドルをひき、作曲もする音楽愛好家。 

でも毎日、毎日、何時間も馬の糞の話に付き合って来たのです。 

年齢から考えて、おそらく20年以上もの期間、毎日、毎日。 

自分が相手をしなければ、村の中の誰も会話をしたがらない男だから。 

 

冒頭の宣言は、残された人生を自分のために使おうと決心した年寄りの男が長年の友達を切り捨てる決心をしたものです。 

その結果として起きることが、二人と村人達のエピソードとして積み重ねられて行きます。 

 

この映画はハリウッド式の起承転結のはっきりした映画が好きな人には、まったくお勧めできません。 

普通の「ハリウッド流の映画の文法」から外れた構成になっていて、戸惑います。 

私、このイニシェリン島の精霊に対しては次に来るシーンがまったく予想できませんでした。 

と言うか、見終わった今でも本当にこの映画を理解できたか、自信が持てません。 

シーンを頭の中で再現しながら、そこに込められたメッセージを読み取っていくことになると思います。 

 

とりあえず、印象に残っていること。 

パブでの演奏シーンではボタンアコーディオンフィドルとバウロンしか使われていなくて、ティンホイッスルとかシンプルな木製フルートが登場していなかったけれど、何か意味が込められているのかな?  アイルランドの中でも僻地にあるイニシェリン島の状況をわからせる情報になっているとか? 

 

パブで飲まれているのは、女性がシェリー、酔っ払いたい人がウィスキー、あとは皆が黒ビールでした。 おいしそうだった。 

おいしそうだったので、買って帰りました。 



 

夕方になると村中の男がパブに集まって黒ビールを飲みながら話をする。 

パブは村に一軒で、同じ顔ぶれが何十年も毎日集まる。 

自分が見捨てたら誰からも相手にされなくなる友人がいる。 でも・・・

 

2023-02-10追記:

この難解と言われる映画を理解するために必要な4つのポイントをまとめました。 

ネタばれは極力避けています。

イニシェリン島の精霊:理解のポイント - 駒澤塾:中学受験の算数・理科

 

 

 

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