大手学習塾は、その多くが双方向Web授業の準備を全力で進めていると思います。 特にサピックスの算数は「授業当日に教材を配布し、対面授業で解く楽しさを体験させ、多量の反復演習で身に付けさせる」という流れが損なわれており、導入が強く求められています。 今日は少人数・双方向授業を実現するには何が、という話です。
【理想的な双方向Web授業とは】
まず、Sapixの良さを遠隔で出来る限り再現するための理想的な環境を考えてみます。
《先生側》
同時並行的に進行するクラスの数と同じだけのライセンスや端末、そして使いこなすノウハウが必要です。
数は多くてもライセンスの入手は問題無いはずです。 費用的にも手続き的にも。
端末は授業進行管理用の他に、生徒人数の二倍の小ウィンドウを表示できるハードウェアが必要です。 人数の二倍というのは「表情用」と「書画カメラ用」です。
前回の記事で紹介した家庭教師の先生たちも手元を写す書画カメラを重視していますが、集団塾でもSapixのようにダイナミックな指導をするには表情と手元を同時に見ることが必要と考えます。
また、生徒から先生に初見の問題をどのように解いたか伝える際にも、生徒がカメラにかざすとか口頭で説明するなどの方法ではリズムが崩れますので、生徒の口頭説明+書画カメラによる映像が必要になります。
クラスあたりの人数は公式FAQで15から20名となっていますから、生徒用の小ウィンドウだけで30から40個の一覧表示が必要ということになります。
先生用の端末にタブレットを使うと、Zoomの仕様でギャラリービューモードの小ウィンドウ数は3×3の9個に限られますので、生徒の様子をモニターするためだけで先生一人あたり4台から5台が必要になります。
先生用の端末にパソコンを使うと、パソコンの性能と画面サイズにもよりますが最大で7×7の49個の小ウィンドウが表示できますので、授業進行管理用にタブレットを1台と、生徒の様子モニター用にパソコン1台でギリギリ授業可能です。 生徒の様子モニター用PCはカメラの無い「SOUND ONLY」での運用も可能ですのでかなり楽になります。
Sapix授業の特徴であるプリントを当日配って初見で解かせるという流れを再現するには、問題を一問ずつ画像データにしておいてZoomのファイル共有で生徒の画面に表示させるという方法が考えられます。 どうせデイリーサポートの問題は現実の授業でも一部しか扱わないのですし。
ただしデイリーサピックスなどの演習用教材を含めて、これまでは授業に来た生徒に配るだけで持って帰ってもらえていた教材類を、授業のタイミングと合わせて、更に入退塾のタイミングと正確に名簿を合わせて、各家庭に郵送しなければなりませんから、全校舎で新たに何人かずつ事務員を増やして連日の発送作業が発生することになるはず。 これ、想像以上にたいへんな作業だと思います。
先生方の使いこなしのノウハウについては、努力でカバーできる部分なので省略します。
《生徒側》
もしデイリーサポートの問題を一問ずつ画面に表示するという方法で授業が進むなら、スマホの画面サイズではすこし厳しいです。 最低でiPad mini の7.9インチが欲しくなります。
マイクのミュート管理を使わず、生徒が自由に発言できる環境を再現するなら、音質面から生徒全員にヘッドセットを使わせたいです。
先生が各生徒の鉛筆の動きを見られるという現実の授業を再現するなら、表情用のカメラとは別に手元を写す「書画カメラ」が必要になります。 スマホ+スマホホルダーで出来ますが、それらは授業のたびに時間中使いっぱなしになります。
【何を実現するか】
生徒側の準備よりも先生側の準備のほうが大変だと思います。 上に書いたような理想的な形、これまでの対面授業を再現する形をSapixという大規模な塾全体でいっせいに導入するのは、まだ相当な時間を要すると考えます。
即座の導入を求めるとすると何を実現するかという問題を裏返せば、何をあきらめるか、何を切り捨てるか、という問題になるはず。
何を実現するか、Sapixの最大の魅力は『ダイナミックな指導』だったと考えます。 そう考える根拠は今日の記事の最後で別項にまとめますが、それを実現するために(実現の可否を大胆に無視して)、何をあきらめれば出来るかという視点で考えてみました。
『平等性をあきらめる』
出来るところから始める、ということです。
すでに低学年は後回しになっていますが、これを高学年でも出来るところからにすること。
アルファクラスからとか、準備の出来た校舎からとか、準備の出来た先生から、など。
2020/05/14 06:45 下記のリンクを追加:実例が出ました
『授業は校舎からという形態をあきらめる』
自宅の機材を使える先生は自宅から、無い先生は校舎の機材を使って、という形。
Zoomでホストとしてミーティングを立ち上げるのに必要なのは、サインインに使うメールアカウントとパスワードだけですから、理論的にはどこからでも授業をできます。
使い慣れた機材ですし、使いこなせる先生は高度な授業ができます。
教材データ等を自宅に持ち出すことをSapixが認めているかどうか知らんけど。
『環境を準備できない生徒をあきらめる』
「表情用」に加えて「書画カメラ」を準備できない生徒の手元確認はあきらめる。
ヘッドセットを準備できない生徒はジェスチャー以外の発言をあきらめる、など。
『営業秘密をあきらめる』
Sapixは体験授業も保護者の授業見学も認めないと聞いています。 今回の双方向授業も「生徒ひとりで参加させてください。」という指示があったらしいです。
なぜそこまで秘するかという理由について、ここでは論じません。
しかし従来の校舎の授業を双方向Web授業で再現するということは、生徒側カメラの画角外からの閲覧や録画が可能になるということ。 営業秘密をあきらめることです。
上の方で書いた授業のタイミングに正確に合わせて教材を配布するという塾側の大きな負担も、PDFで送信して生徒側で印刷するという方法を取れれば大幅に合理化されます。
しかし、過年度の教材一式がネットオークションで数万円で取引されるという現状が、劣化無しで無限に複写できるデジタルデータ配信になってしまう訳です。 これも営業秘密をあきらめる選択肢です。
もしかしたらこの二つは、双方向Web授業を従来の校舎での授業に近づける最大の阻害要因かも知れません。
【『ダイナミックな指導』の根拠】
Sapixの指導法の良さについて、ひとつのキーワードは『ダイナミックな指導法』にあると考えています。
その一つのあらわれが、授業で教えている解き方や、あるいは授業中に生徒の解いた方法を先生がクラス内に紹介した解き方などが、プリントに印刷された解き方と違うところです。
それについて書いたのが、これ。
倍数算と倍数変化算の解き方について4回のシリーズで扱った記事の最終回ですが、クラスによっては解説プリントの解き方とは別の方法を授業で教えている事を書きました。
テキストやプリントの解説をなぞって行くだけの授業をしていない、生徒からの発意も含めてクラスの生徒の反応を見ながらダイナミックな指導をしている話は、以下から始まる数回のシリーズでも触れています。
生徒に一つの解法を押し付けない。 その生徒が持っている力を見極めて、それを一歩広げられる解き方を教えて生徒の力を伸ばして行く、そういうダイナミックな指導は私の目標とするものであり、駒澤塾のテーマのひとつでもあります。
それを大規模塾で実現したのがSapixの強みですが、もし他塾の追随を許さぬ自負があるのなら、営業秘密という縛りを捨てられるはず。
その縛りが捨てられれば、双方向Web授業の実現は早期に可能になるはず。
早期に可能どころか、先生が問題データベースを授業中に使えれば、算数専門の個人塾「深沢塾」でやっていたような、生徒のレベルに即応したオーダーメイド型の問題演習すら実現できます。 (深沢塾の話は、上の『SAPIXの復習主義:その1』の冒頭で書いています。)
問題データベースから即座に演習課題を授業に供するという進め方は、Zoomに関する記事の中で触れてきたパラダイムシフトのひとつの具現化した形です。
さて、最初にそれを取り入れる大手塾はどこになるでしょう?